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「森前の渡し」跡
昭和31年(1956)に衣浦大橋が開通するまで、対岸の知多半島の亀崎とを結ぶ渡し舟が出ていました。渡し場跡の碑が、森前公園内に残されています。
「森前の渡し」跡
このあたりは、もと森前と呼ばれていて、衣浦大橋が開通するまでは対岸の亀崎へ船で往来した。その渡船場の跡である。
「森前の渡し」の起源について明らかでないが、江戸時代刈谷藩はこの渡船場を重視し、浦役を庄屋に命じて船の出入りを取り締まり年貢五百石を免じていたといわれる。
以来、高浜と知多を結ぶ交通の要路として重要な役割を果たしてきたが、大橋の開通と共に廃止となった。
~案内板より~
渡し場の跡の森前公園南側にはかわら美術館があります。
名称
「森前の渡し」跡
*店舗、施設などの休日・営業日等は変更している場合もありますので直接ご確認ください。
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このあたりは、もと森前と呼ばれていて、衣浦大橋が開通するまでは対岸の亀崎へ船で往来した。その渡船場の跡である。
「森前の渡し」の起源について明らかでないが、江戸時代刈谷藩はこの渡船場を重視し、浦役を庄屋に命じて船の出入りを取り締まり年貢五百石を免じていたといわれる。
以来、高浜と知多を結ぶ交通の要路として重要な役割を果たしてきたが、大橋の開通と共に廃止となった。 ~案内板より~