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「藤江の渡し」跡
かつて対岸の知多東浦町藤江との間、約500mを小舟の渡しで結んでいた。明治時代は、東京・京都方面へ出るのに、渡し舟で知多半島へ渡り、武豊線を利用していました。記念碑があり、毎年10月には「渡し場まつり」が開催されている。
「藤江の渡し」跡
昭和三十一年、衣浦大橋完成時まで対岸の藤江(知多郡東浦町)への渡しがあったことから 「藤江の渡し」と呼ばれた。渡しに使われた小舟は三十人ほど乗れるものであったが、乗客が5~6人になると船を出した。
また三河鉄道(名鉄)開通以前は武豊線を経由して東京や京都へ出かける人もよく利用した。
今も、当時の船着場の石垣が残っており、干潮時にはその姿を見ることができる。
~案内板より~
渡し場まつり。ほんとうの結婚式が行われます。
船の上で、おまつりのお客さんたちに祝福されながら三々九度の儀式を行います。
渡し場の跡には、双体の道祖神がひっそりたたずんでいました。
名称
「藤江の渡し」跡
*店舗、施設などの休日・営業日等は変更している場合もありますので直接ご確認ください。
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昭和三十一年、衣浦大橋完成時まで対岸の藤江(知多郡東浦町)への渡しがあったことから 「藤江の渡し」と呼ばれた。渡しに使われた小舟は三十人ほど乗れるものであったが、乗客が5~6人になると船を出した。
また三河鉄道(名鉄)開通以前は武豊線を経由して東京や京都へ出かける人もよく利用した。
今も、当時の船着場の石垣が残っており、干潮時にはその姿を見ることができる。
~案内板より~